営業を続けられなくなった宿の建物は、どこから市場に出てくるのか。担保を設定した金融機関などが裁判所に申し立てる「不動産競売」と、その手前で債権者の同意を得て売却する「任意売却」は、民間側で宿泊施設が一次供給される代表的な経路である。本稿ではこの2つのルートを取得の実務から読み解く。入札の時点で何が分かり、何が分からないのか。その「分からなさ」が、再生後に必要な客室単価をどれだけ押し上げるのか。30室・60室のモデルで定量化する。
本稿の位置づけ(既刊との線引き)
公的ストックの放出ルートは国有地売却128件、廃校ホテル転用マップ、漁港施設等活用事業、公営国民宿舎43施設の再生市場で扱った。件数と承継機会のマクロは旅館・ホテル倒産、2026年上期35件・負債221億円、相対取引での取得スキームは旅館・ホテル取得3スキーム比較が扱っている。本稿の主題は「担保権の実行(競売)と任意売却」という取得経路そのものの実務であり、相対取引と比べる場合も違いだけを書く。
本稿は制度と一般的な実務を説明するものであり、個別案件の法律・税務・投資判断に関する助言ではない。個別の競売物件・事業者の実名は扱わない。
本記事における指標の定義
ADR(平均客室単価):各施設が予約サイト上で公開する最安プラン水準(2名1室利用時・1室あたり料金・税込)に業態別の補正係数を適用して算出した推定成約単価(税抜相当)。上場ホテルREITが開示する物件別実績との照合(91施設・直近3ヶ月間)で誤差中央値は約7%。推定値であり、各施設の実際の成約価格・会計数値とは異なります。エリア単位のADRは対象施設の中央値(エリアの標準的な施設の水準)。
OCC(稼働率):エリア内の総客室数に対する販売済み客室数の割合(OTA販売在庫に基づく推定値)。予約サイト上で販売される在庫の消化状況にもとづく推定であり、施設全体の実稼働率とは異なります。
売却基準価額・買受可能価額:売却基準価額は評価人の評価にもとづき執行裁判所が定める競売不動産の価額。買受可能価額はそこから20%を控除した額で、入札額はこれ以上でなければならない(民事執行法60条)。
成立ADR:本稿の試算で、総投資額に対して目標のNOI利回りを確保するために必要な推定成約ADR。データ出典:メトロエンジンリサーチ
Key Takeaways
— 地方裁判所が受け付けた不動産執行の新受は2024年に17,599件で、前年から11.3%増えた。住宅や土地を含む全用途の件数であり、宿泊施設だけの件数は公表されていない。
— 競売では入札前に建物内部を調べられないのが原則で、種類・品質の不適合について担保責任も追及できない(民法568条4項)。3点セットで分かるのは占有・権利・評価であり、浴場・受変電・給排水の設備が使えるかどうかは分からない。
— 30室モデルの総投資は、競売で4.24億円、任意売却で4.36億円。取得価格は総投資の23〜34%にとどまり、再生Capexが6割前後を占める。
— 成立ADR(通年OCC60%・NOI利回り10%)は30室で競売¥21,500、任意売却¥22,100と600円差に縮む。競売で3割安く取得しても、予備費・什器の再調達・長い空室期間で差の大半が相殺されるためだ。予備費が19.6%を超えると両ルートの成立ADRは逆転する。
— 温泉地7エリアの旅館ADR中央値と比べると、由布市・伊東市は中央値が30室の成立ラインを上回り、加賀市は60室のラインとほぼ並ぶ。残る4エリアでは成立ラインが中央値の1.2〜1.4倍となり、減室や軽いCapexで総投資を抑える設計がポイントになる。
どれくらいの母数から出てくるのか — 不動産執行の新受は2024年に17,599件、全用途の数字
最高裁判所「司法統計年報(民事・行政編)」によると、地方裁判所が受け付けた不動産を対象とする執行事件の新受件数は、2024年に「担保権の実行としての競売等」が11,860件、「強制競売等」が5,739件で、合計17,599件だった。2019年の21,272件から2022年の15,449件まで3年続けて減少し、2023年は15,814件と横ばい。2024年は前年比+11.3%と増加に転じ、担保権の実行に限れば+16.2%である。
ただし、この件数は住宅・土地・事業用不動産を含む全用途の集計であり、宿泊施設に限った件数は公表されていない。17,599件を宿泊施設の件数として読むことはできない。旅館・ホテルはこのうち限られた一部とみられ、「毎年一定数が流れているものの、自分から探しに行かなければ目に入らない」経路と位置づけるのが実態に近い。
担保権の実行に至るまでには、いくつかの段階がある。まず返済条件の変更(リスケジュール)があり、保証付き融資であれば信用保証協会による代位弁済が続く。全国信用保証協会連合会の公表値では、代位弁済(元利合計)は2021年度の20,816件・2,426億円を底に増え、2023年度43,830件・4,946億円、2024年度48,303件・5,498億円、2025年度48,176件・5,491億円となった。2年続けて4.8万件台で推移している。代位弁済を行った保証協会は求償権を持ち、担保があれば回収手段として任意売却か競売を選ぶ。この件数も全業種の数字であり、宿泊業の件数としては扱えない。
宿泊業側の動きとしては、帝国データバンク調べで2026年上期のホテル・旅館倒産が35件あった(既刊)。ただし倒産した宿の建物がすべて競売に出るわけではない。事業譲渡で運営が引き継がれる例もあれば、任意売却で相対の買い手に渡る例もある。退出と新規供給の全体像は宿泊業の退出2025年267件で整理している。
競売の流れ — 売却基準価額の8割から入札でき、保証は2割
不動産競売は民事執行法に定められた手続きである。担保権者の申立てで競売開始が決まると、執行官が現況を調べ、評価人が評価し、裁判所が売却基準価額を定める。そのうえで期間入札にかけられる。買い手側から見て押さえておきたい要点は次の表のとおりである。
| 段階 | 内容 | 根拠 |
|---|---|---|
| 1. 競売開始決定・差押え | 担保権者などの申立てで開始し、差押えの登記がされる | 民事執行法45条・188条 |
| 2. 現況調査・評価 | 執行官が占有者と占有権原、建物の現況を調査し、評価人が評価額を算定する | 同57条・58条 |
| 3. 売却基準価額の決定 | 評価にもとづき裁判所が定める。買受可能価額はその80%で、入札はこれ以上でなければならない | 同60条 |
| 4. 物件明細書の作成・3点セットの公開 | 物件明細書・現況調査報告書・評価書が裁判所で閲覧でき、不動産競売物件情報サイト(BIT)でも公開される | 同62条 |
| 5. 期間入札 | 定められた入札期間中に入札する(東京地裁の民事執行センターでは通常8日間)。保証は通常、売却基準価額の20%。暴力団員等に該当しない旨の陳述も必要 | BIT「入札等の手続」、同65条の2 |
| 6. 開札・売却許可決定 | 最高価で入札した者に対して売却許可を決定する | 同69条 |
| 7. 代金納付 | 期限までに代金を納付すると所有権が移転する | 同78条・79条 |
| 8. 引渡し | 占有者が任意に明け渡さない場合、代金納付から原則6ヶ月以内に引渡命令を申し立てられる | 同83条 |
相対取引との違いとして、実務上は次の3点が大きい。第一に、建物内部の見学は原則としてできない。内覧の制度(民事執行法64条の2)はあるが、申し立てられるのは差押債権者で、買受希望者からは申し立てられない。第二に、契約不適合責任を追及できない。民法568条4項により、競売の目的物の種類・品質に関する不適合には担保責任の規定が適用されない。第三に、運営会社などの占有者への対応は買受人が引き受ける。抵当権に後れる建物の賃借人には代金納付から6ヶ月の明渡猶予が認められている(民法395条)。
3点セットで分かること — 宿泊施設として読むべき5項目
BITによれば、現況調査報告書には不動産の現状と占有者、その占有権原の有無が記載され、写真が添付される。評価書には周辺環境と評価額が記され、図面が付く。物件明細書には、買受人が引き継がなければならない賃借権などの権利や、建物のために底地を使用する権利が成立するかどうかが記載される。これを宿泊施設という用途に当てはめると、読むべき項目は次の5つに整理できる。
| 項目 | 主な記載書類 | 宿泊施設で読むポイント |
|---|---|---|
| 占有関係と占有権原 | 現況調査報告書・物件明細書 | 運営会社が賃借人として営業を続けているか。抵当権設定より前から対抗できる賃借権であれば、買受人が賃貸人の地位を引き継ぐ。後れる賃借権であれば明渡猶予6ヶ月の対象になる。オペレーターの契約形態は、そのまま取得後の運営設計を左右する |
| 法定地上権・底地の利用権 | 物件明細書 | 土地と建物の所有者が異なる、または建物だけが売却対象になっているか(民法388条)。源泉施設・駐車場・離れ・従業員寮が別の筆・別の所有者になっていないか |
| 越境・境界 | 現況調査報告書・評価書 | 露天風呂、渡り廊下、配管、看板が隣地や公有地にはみ出していないか。温泉地の斜面立地では図面と現況が一致しない場合がある |
| 建物の現況 | 現況調査報告書(写真)・評価書 | 増築部分の未登記、築年、外観と一部内部の写真。写真は設備が動くかどうかまでは示さない |
| 評価額と減価の考え方 | 評価書 | 評価人は競売特有の減価要因(任意に退去しない占有者、担保責任がないこと等)を「競売市場修正」として織り込む。実務解説では0.6〜0.7程度が一般的とされ、東京地裁は23区内の物件について2017年3月以降、減価幅を30%から20%に変更した |
競売市場修正を価格の面から読み直すと、相対取引の相場より3割前後低い水準から入札が始まる構造といえる。ただし、この安さは無償ではない。内覧できないこと、担保責任がないこと、引渡しが確実でないこと。こうしたコストを買い手が引き受ける見返りとして、評価に織り込まれた減価である。次の章では、その引き受けるコストを具体的に並べる。
3点セットで分からないこと — 調べられない部分を価格でどう吸収するか
宿泊施設で再生費用を最も大きく動かすのは、3点セットには書かれない領域である。入札前のデューデリジェンス(DD)で確かめられない項目を、影響の大きさと価格での吸収方法に分けて整理した。
| 分からない項目 | 取得後に効く論点 | 本稿の試算での吸収方法 |
|---|---|---|
| 内覧の可否 | 客室・水回りの傷み具合が写真以上には分からない | 客室改修費を1室500万円で一律に置き、上振れは予備費で受ける |
| 設備の稼働状態(熱源・空調・昇降機) | 休館期間が長いほど、再使用ではなく更新が前提になる | 受変電設備は「更新する」前提で計上(30室1,000万円・60室1,500万円) |
| 給排水・浴場設備が使えるか(ろ過・循環、配管、浴槽) | 浴場は温泉旅館が営業を再開するための最低条件。衛生管理の基準を満たす設備が要る | 浴場改修とろ過・給湯設備の更新を別枠で計上(30室1,400万円・60室2,800万円) |
| アスベスト | 改修着工の前に事前調査が必要で、除去面積しだいで費用が跳ねる(既刊) | 基本Capexに+10% |
| 検査済証の有無・遵法性 | 改装が確認申請の対象に入ると、既存部分の法適合を問われる(既刊) | 予備費と空室期間の長さ(18ヶ月)で吸収 |
| 什器・備品・予約管理システムの帰属 | 可動の什器やリース物件、システムの利用契約は、建物と一緒に移るとは限らない | 什器・開業準備を1室50万円+一式300〜500万円で再調達する前提 |
| 温泉の権利 | 源泉が別の所有者のものだったり引湯契約だったりすると、権利が建物についてこない場合がある(既刊) | 予備費では吸収せず、取得価格の前提そのものを見直す |
本稿の試算では、内覧できない前提を「DD不能予備費」として、基本Capex(アスベスト対応を含む)の15%に置いた。任意売却では現地調査や設備診断を条件交渉に反映できるため、同じ予備費を5%とした。この10ポイントの差が、後で見る両ルートの成立ADRの差を決めることになる。
任意売却との比較 — どちらのルートでどんな案件が出るか
任意売却は法律上の手続きではない。所有者が、担保権者全員から抵当権の抹消について同意を得たうえで、通常の売買として売る方法である。仲介会社が関わる相対取引であり、引渡し条件を交渉できる。競売との違いを論点ごとに並べる。
| 論点 | 競売(担保権の実行) | 任意売却 |
|---|---|---|
| 進め方 | 裁判所の手続き。入札日は裁判所が決める | 所有者が債権者の同意を得て売る。同意がまとまらなければ競売に移る |
| 価格の起点 | 売却基準価額(競売市場修正込み)。買受可能価額はその80% | 市場価格を目線に交渉。全担保権者の抹消同意が条件 |
| 情報の流れ方 | 3点セットがBITで公開され、誰でも閲覧できる | 仲介会社や債権者を通じて、限られた相手に打診される |
| 事前の調査 | 建物内部・設備の調査は原則できない | 現地調査・書類確認・設備診断を行い、価格に反映できる |
| 担保責任 | 種類・品質の不適合は追及できない(民法568条4項) | 契約で定める。免責とする特約を置く例もある |
| 引渡し | 代金納付後の占有者対応は買受人が行う。引渡命令を利用できる | 引渡し日、残置物、従業員、予約済みの宿泊の扱いを交渉で決められる |
| 営業の継続 | 営業中の状態で引き継げるとは限らない | 事業譲渡を組み合わせれば、営業を止めずに引き継ぐ設計もありうる |
| 仲介手数料 | かからない | かかる |
| 買い手どうしの競争 | 入札で価格が決まり、個人・事業者を問わず参加できる | 相対。早い段階で情報を得た買い手が交渉の主導権を持ちやすい |
どちらのルートに出てきやすいかにも、一般的な傾向がある。任意売却になりやすいのは、営業を続けながら引き継ぎ手を探せる案件、担保権者が少なく同意がまとまりやすい案件、源泉や従業員を含めて事業ごと移したい案件である。競売に至りやすいのは、後順位の担保権者や公租公課の差押えが重なって抹消の同意がまとまらない案件、休館から時間が経ち占有や設備の状態を所有者側も把握しきれていない案件、所有者と連絡がつかない案件である。前者は情報が早く・狭く流れ、後者は遅く・広く流れる。取得したい案件の像に合わせて、ソーシングの窓口を分けて持つのが合理的だろう。承継期限を控えた旅館側の売却圧力については、事業承継税制の期限は2027年12月が背景を掘り下げている。
落札しても旅館業許可はついてこない — 構造設備・消防・関連許可を自前でそろえる
競売で移るのは不動産の所有権であり、営業者の地位ではない。2023年12月13日施行の改正旅館業法で、事業譲渡による営業者の地位の承継(法第3条の2)が認められた。しかし競売や不動産だけの売買はこれに当たらない。買受人または起用するオペレーターが新たに許可(法第3条第1項)を取得する必要がある。新規許可では構造設備が政令の基準に適合しているかを改めて審査され、消防法令適合通知書などの添付を求められる。この点は相対取引の不動産取得と同じで、手続きの比較は旅館・ホテル取得3スキーム比較が詳しい。許可の3区分と2023年改正の要点は、旅館業法とは — 3区分の許可要件と2018・2023年改正で整理している。
付随する許可も同じ扱いになる。温泉の利用許可、料理を提供する場合の飲食の営業許可は、取得者側で改めて取り直す。改装の規模によっては確認申請が必要となり、既存部分の法適合を問われる。検査済証がない建物では現況調査から始めることになる(検査済証がない宿は買えるか)。旧耐震の建物であれば、改修で使い続けるか建て替えるかという判断も前に来る(旧耐震ホテル23.6万室)。
そこで試算では、開業までの空室期間を次のように置いた。競売ルートは「代金納付 → 引渡し → 現況調査・設計 → 工事 → 各許可」で18ヶ月。任意売却ルートは契約前に調査と設計を進められる前提で12ヶ月である。
成立ラインの試算 — 温泉地7エリア・地方都市2エリアの単価と照らす
成立ラインを照らし合わせる相手として、温泉地7エリア(加賀市・草津町・みなかみ町・由布市・別府市・伊東市・花巻市)と地方都市2エリア(松本市・長野市)の推定成約ADRと稼働率を集計した。温泉地は旅館カテゴリの中央値、地方都市は全施設の中央値を基準に置く。
| エリア | 区分 | 旅館ADR(12ヶ月中央値) | 全施設ADR(12ヶ月中央値) | 稼働率(推定・2026年8月) |
|---|---|---|---|---|
| 由布市 | 温泉地 | ¥23,800(N=120〜129) | ¥23,800(N=131〜142) | 78.7%(136施設/1,556室) |
| 伊東市 | 温泉地 | ¥23,500(N=63〜70) | ¥20,500(N=120〜128) | 84.7%(173施設/3,526室) |
| 加賀市 | 温泉地 | ¥20,500(N=40〜42) | ¥20,000(N=44〜47) | 81.3%(44施設/2,580室) |
| みなかみ町 | 温泉地 | ¥17,600(N=42〜47) | ¥18,100(N=46〜51) | 87.1%(37施設/989室) |
| 別府市 | 温泉地 | ¥17,100(N=74〜84) | ¥15,300(N=113〜126) | 79.5%(128施設/3,785室) |
| 草津町 | 温泉地 | ¥16,600(N=68〜83) | ¥17,300(N=77〜92) | 88.4%(57施設/1,867室) |
| 花巻市 | 温泉地 | ¥15,200(N=25〜27) | ¥13,600(N=29〜32) | 85.2%(28施設/1,560室) |
| 松本市 | 地方都市 | — | ¥13,300(N=91〜108) | 96.1%(68施設/3,096室) |
| 長野市 | 地方都市 | — | ¥11,100(N=70〜78) | 93.2%(36施設/2,318室) |
■ 試算前提
| 項目 | 競売ルート | 任意売却ルート | 根拠 |
|---|---|---|---|
| 想定ストック | 温泉付き旅館・築30年超・休館中。30室と60室の2規模 | — | |
| 取得価格 | 1室330万円(30室9,900万円) | 1室471万円(=330万円÷0.7) | 既刊の国民宿舎30室試算の取得対価1.0億円を起点に、競売側には競売市場修正▲30%が織り込まれていると置いた |
| 取得諸費用 | 価格の5.0% | 価格の8.3% | 流通税3.0%(既刊)+登記・専門家・占有者対応等2.0%。任意売却は仲介手数料3.3%を加算 |
| 客室改修 | 1室500万円 | 既刊国民宿舎43施設のライトリノベ単価 | |
| 浴場 | 30室1,400万円/60室2,800万円(2系統) | 大浴場・浴槽改修300〜800万円、ろ過装置・給湯設備の更新200〜600万円の公開相場の上限を合算 | |
| 受変電 | 30室1,000万円/60室1,500万円 | キュービクル本体の公開相場(300kW 550〜650万円、500kW以上1,000〜1,200万円)に据付工事を見込んだ置き値 | |
| 厨房 | 30室5,100万円/60室6,500万円 | 既刊厨房の投資試算の固定Capex5,100万円(〜40室)。60室は区画・機器の拡張で約3割増と置いた | |
| アスベスト対応 | 上記Capexの+10% | 既刊の40室旅館・中位シナリオ7.5〜15.3%の中間 | |
| DD不能予備費 | 15% | 5% | 本稿の置き値(内覧・設備診断の可否の差) |
| 什器・開業準備 | 1室50万円+一式 | 1室20万円+一式 | 競売は帰属不明分の再調達、任意売却は一部引継ぎを前提。一式は30室300万円・60室500万円 |
| 空室期間の保有費 | 18ヶ月 | 12ヶ月 | 固定資産税・法定点検・保険・警備・基本料金で1室年23万円(固定資産税・法定点検の既刊単価を参照)+資金コスト年2.5% |
| 収益の置き方 | 総売上=客室売上×1.2(付帯の料飲・売店等)、NOI率25%、目標NOI利回り10%、OCC60%(通年の年間平均・感度50〜70%) | 本稿の置き値 | |
簡易試算であり、実際の投資判断には個別物件の詳細なフィージビリティ・スタディが必要です。成立ADR=総投資×目標利回り÷NOI率÷1.2÷(客室数×365×OCC)。
30室の競売ルートでは、総投資4.24億円(1室あたり約1,420万円)のうち取得価格は9,900万円で23.3%にすぎない。客室・浴場・受変電・厨房の改修にアスベスト対応と予備費を加えた再生Capexが2.85億円、67.1%を占める。任意売却ルートでは取得価格が1.41億円に上がって32.4%を占め、総投資は4.36億円になる。60室でも構図は同じで、競売7.94億円(1室約1,320万円)、任意売却8.22億円である。
| モデル | 総投資 | 1室あたり | 取得価格の比率 | 成立ADR 通年OCC50% | 成立ADR 通年OCC60% | 成立ADR 通年OCC70% |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 30室・競売 | 4.24億円 | 約1,420万円 | 23.3% | ¥25,800 | ¥21,500 | ¥18,500 |
| 30室・任意売却 | 4.36億円 | 約1,450万円 | 32.4% | ¥26,500 | ¥22,100 | ¥19,000 |
| 60室・競売 | 7.94億円 | 約1,320万円 | 24.9% | ¥24,200 | ¥20,100 | ¥17,300 |
| 60室・任意売却 | 8.22億円 | 約1,370万円 | 34.4% | ¥25,000 | ¥20,800 | ¥17,900 |
競売の3割安は、どこで相殺されるのか
30室で比べると、競売ルートは取得価格で4,230万円、取得諸費用で680万円、合わせて約4,910万円有利になる。その一方で、DD不能予備費が2,470万円、什器・開業準備の再調達が900万円、空室期間の延長に伴う保有費・金利が380万円、それぞれ上乗せされる。差し引きで残る優位は約1,150万円、成立ADRにして600円程度にとどまる。取得諸費用の積み上げ方の詳細はホテル取得の諸費用は価格の7.1%も参考になる。
そして、この優位は予備費の置き方しだいで簡単に入れ替わる。成立ADRが両ルートで等しくなる予備費の水準は、30室で19.6%、60室で21.1%である。設備の傷みが想定より大きく、改修費の2割を超える上振れを見込む必要がある物件なら、価格の安い競売より、調べてから買える任意売却のほうが成立ラインは低くなる。
| 感度(競売ルート・OCC60%/通年) | 30室の成立ADR | 60室の成立ADR |
|---|---|---|
| 基本ケース | ¥21,500 | ¥20,100 |
| 取得価格を半額(1室165万円) | ¥18,800 | ¥17,400 |
| 取得価格ゼロ(再生Capexと保有費だけ) | ¥16,100 | ¥14,700 |
| 予備費0%(設備を事前に確認できた場合) | ¥19,600 | ¥18,400 |
| 予備費30%(設備の上振れが大きい場合) | ¥23,400 | ¥21,900 |
| 目標NOI利回り8% | ¥17,200 | ¥16,100 |
| 目標NOI利回り12% | ¥25,800 | ¥24,200 |
感度表から読み取れるのは、取得価格の交渉より、再生Capexの見立ての精度のほうが成立ラインに効くということだ。取得価格を半額にしても、30室の成立ADRは¥21,500から¥18,800へ約13%下がるだけである。仮に取得価格がゼロでも¥16,100が残る。再生Capexと空室期間の保有費だけで、中価格帯の温泉旅館の単価水準に届いてしまう。
3シナリオと2軸感度 — 成立ラインはどこまで動くか
ここまでの感度は1つずつ動かしたものである。実際の案件では、設備の傷み(=予備費)と再生後に置ける稼働が同じ方向に振れる。30室・競売ルートについて、両者を組み合わせた3シナリオと、稼働×目標利回りの2軸を並べる。いずれも上の感度表で公表した値から比例で導いたもので、新しい前提は置いていない。
| シナリオ | DD不能予備費 | 通年OCC | 成立ADR | 成立する市場 |
|---|---|---|---|---|
| 悲観 — 設備の上振れが大きく、稼働も戻りきらない | 30% | 50% | ¥28,100 | 9エリアのいずれの中央値も届かない |
| 中位 — 本稿の基本ケース | 15% | 60% | ¥21,500 | 由布市・伊東市の中央値が上回る |
| 楽観 — 設備を事前に確認でき、稼働も上位まで戻る | 5% | 70% | ¥17,300 | 由布市・伊東市・加賀市・みなかみ町の4エリア |
| 目標NOI利回り\通年OCC | 50% | 60% | 70% |
|---|---|---|---|
| 8% | ¥20,600 | ¥17,200 | ¥14,800 |
| 10%(基本ケース) | ¥25,800 | ¥21,500 | ¥18,500 |
| 12% | ¥31,000 | ¥25,800 | ¥22,200 |
9エリアで最も高い旅館ADR中央値は由布市の¥23,800である。この水準を下回る、つまりどこかのエリアで市場が成立ラインに届くセルは9つ中6つ。目標NOI利回りを12%に引き上げると、届くのは通年OCC70%のセルだけになる。利回りの目標を2ポイント上げることは、必要な稼働を10ポイント積み増すことと同じ重みを持つ。
成立ラインを各エリアの旅館ADR中央値と重ねると、分布ははっきり分かれる。30室の成立ADR¥21,500を中央値が上回るのは由布市(¥23,800)と伊東市(¥23,500)。加賀市(¥20,500)は30室では中央値の1.05倍、60室の¥20,100とはほぼ並ぶ。みなかみ町・別府市・草津町・花巻市では、30室の成立ラインが中央値の1.23〜1.42倍になる。これらの市場で成立させるには、再生後にエリア上位の単価帯へ移ることを前提にするか、減室や設備の取捨選択で総投資そのものを下げる設計が要る。
その到達可能性を測る材料として、既刊で追った再生事例を置いておく。旧国民宿舎を民間が再生した岩手県奥州市の42室は、推定成約ADRが開業16ヶ月後の2026年8月に約¥20,400に達した(前年同月比+40.4%)。一方、直近12ヶ月の平均は約¥15,600である。繁忙月に2万円台へ届くことと、通年で2万円台を維持することは別の到達点であり、成立ラインは後者で見る必要がある。香川県東かがわ市の35室の再生事例は、客室数を据え置いたまま宴会場やチャペルをサウナ・プール・テラスといった体験の場に置き換えた。最安プランの掲載価格を秋から16,000円前後から22,800〜23,900円へ引き上げており、増床を伴わずに単価の階段を上がる設計の参考になる。
地方都市の2エリアは、温泉旅館モデルをそのまま当てはめる市場ではない。浴場と厨房を持たない30室の宿泊特化型に置き換え、総売上を客室売上×1.05、NOI率を30%とすると、総投資は3.41億円(1室約1,140万円)になる。成立ADRは通年OCC60%で¥16,500、70%で¥14,100、80%で¥12,400である。松本市は全施設ADR中央値が¥13,300、8月の稼働率(推定)は96.1%(68施設/3,096室)。高い稼働を前提に置ける市場では、成立ラインは中央値の近傍まで下がる。
まとめ — 競売の安さは「分からなさ」の対価
担保権の実行と任意売却は、地方の宿泊ストックが市場に出てくる民間側の一次供給ルートである。不動産執行の新受は全用途で年1.8万件弱。そのうち宿泊施設は一部であり、窓口を持つ買い手にしか見えない経路といえる。競売は評価に競売市場修正が織り込まれ、売却基準価額の8割から入札できる。一方で、建物内部と設備を調べられないこと、担保責任がないこと、許可を一から取り直すことを買い手が引き受ける。試算では、この引き受けの対価が価格の安さの大半を相殺し、30室の成立ADRは任意売却と600円差にまで縮んだ。
競売ルートが活きる買い手
外観・図面・写真から設備の更新範囲を見立て、予備費を2割未満に収められる事業者。設計・現況調査・許可取得を自前で回せるほど、長い空室期間を短縮できる。
任意売却ルートが活きる案件
営業を続けている、担保権者が少ない、源泉や従業員を含めて移したい案件。事業譲渡を組み合わせれば、許可を承継して営業を止めない設計も視野に入る。
成立ラインに市場が届く立地
9エリアでは由布市・伊東市が30室のラインを、加賀市が60室のラインを中央値でほぼ満たす。そのほかのエリアでは、減室と設備の取捨選択で総投資を下げる設計が起点になる。
取得ルートを選ぶ段階でまず比べるべきは、価格の安さではなく、入札前に分かることの範囲とその差を埋めるコストである。3点セットを読み込み、分からない項目を予備費と空室期間に置き換えて成立ADRまで落とせば、競売と任意売却は同じ物差しで比較できる。
■ 限界・留意点
司法統計の不動産執行事件と信用保証協会の代位弁済は全用途・全業種の数値で、宿泊施設に限った件数ではない。成立ADRは本稿の置き値にもとづく簡易試算で、個別物件の価格・改修費・税額・許可の要否を示すものではない。浴場・受変電の改修費は公開相場からの置き値で、設備の容量・劣化・立地によって大きく変わる。旅館ADRは各エリアの対象施設の中央値であり、再生後の到達単価を保証するものではない。稼働率はOTA販売在庫に基づく推定値で、2026年8月は繁忙期にあたり通年の水準ではない。法制度の説明は一般的な実務の整理であり、具体的な手続きは各裁判所の公告と専門家への確認を前提とする。
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参考資料・出典一覧
■ データソース
推定成約ADRは、各施設が主要予約サイトで公開する最安プラン水準(2名1室・1室あたり・税込)に業態別の補正係数を適用した推定値で、9市町について2025年9月〜2026年8月の月次値の中央値を用いた(温泉地7エリアは旅館カテゴリ、地方都市2エリアは全施設)。推定稼働率は主要予約サイトの掲載在庫の消化状況にもとづく2026年8月の推定値で、対象施設数と客室数を併記している。制度・手続きの記述は民事執行法・民法・旅館業法の条文と裁判所の公表資料により、件数は最高裁判所「司法統計年報」および全国信用保証協会連合会の公表値による。改修費の単価は公開相場および既刊記事の試算を出典として本稿の置き値としたものである。
■ 市場データ
- メトロエンジンリサーチ&コンサルティング — 推定成約ADR(9市町・2025年9月〜2026年8月、旅館カテゴリおよび全施設)、推定稼働率(2026年8月、主要予約サイト掲載ベース)
■ 法令・裁判所公表資料
- 最高裁判所「司法統計年報(民事・行政編)」2019〜2024年
- BIT 不動産競売物件情報サイト「三点セット」
- BIT 不動産競売物件情報サイト「買受可能価額」
- BIT 不動産競売物件情報サイト「入札等の手続について」
- 東京地方裁判所 民事執行センター「競売不動産の買受手続」
- 大阪地方裁判所「新法により設けられた新しい民事執行手続の概要」(内覧制度)
- e-Gov法令検索「民事執行法」
- e-Gov法令検索「民法」(388条・395条・568条)
- e-Gov法令検索「旅館業法」
■ 公的・業界統計
■ 実務解説・費用相場
