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ホテルの厨房は約31室から回収できる — 設備費・人員・許可を分解した投資試算

投稿日 : 2026.09.14

指定なし

投資・開発

ホテルの厨房は約31室から回収できる — 設備費・人員・許可を分解した投資試算

ホテル・旅館の開発計画で最も大きな分岐は、客室のグレードでも立地でもなく「食事を自前で提供するかどうか」である。厨房を持つと決めた瞬間に、建物の面積構成・設備投資・許認可・雇用計画のすべてが変わる。本稿では厨房機能を①面積と設備費、②許認可と衛生管理の実務コスト、③調理・配膳の人員と最低賃金改定後の人件費、④食事付きで取れる価格上乗せ幅、の4要素に分解し、「客室数が何室を超えると厨房が回収できるか」の分岐点を試算する。結論から言えば、保守的な前提での分岐点は約31室。一方、2026年に開業した旅館の平均客室数は14.6室であり、新規供給の実態はこの分岐点を大きく下回っている。

厨房の損益分岐点
約31室
ベースケース試算
厨房の初期投資(固定)
5,100万円
40㎡・機器込み
年間固定運営費
2,740万円
人員6名想定
2食付きの上乗せ幅
¥11,300
12都府県中央値・掲載価格
2026年開業の旅館
14.6室
46施設・670室の平均

本記事における指標の定義

  • ADR(平均客室単価):各施設が公開する最安プラン水準(2名1室利用時・1室あたり料金・税込)に業態別の補正係数を適用して算出した推定成約単価(税抜相当)。上場ホテルREITが開示する物件別実績との照合(91施設・直近3ヶ月間)で誤差中央値は約7%。推定値であり、各施設の実際の成約価格・会計数値とは異なります。エリア単位のADRは対象施設の中央値(エリアの標準的な施設の水準)。
  • 食事の上乗せ幅(本稿の中心指標):同一施設が「素泊まり」と「朝食付き」「2食付き」の双方を販売している場合に限り、その掲載価格の差額を取った値(ペアード比較)。2名1室利用時の1室あたり料金(税込)。異なる施設間の平均値の比較ではありません。掲載価格の差額であり、実際に成約した単価差ではないため、本稿の試算では後述する「実現率」で割り引いて入力しています。
  • OCC(稼働率):エリア内の総客室数に対する販売済み客室数の割合(OTA販売在庫に基づく推定値)。本稿では試算の前提値としてのみ用います。
  • データ出典:メトロエンジンリサーチ&コンサルティング(価格・供給)/ホテルバンク編集部調べ(宿泊者口コミのNLP解析)
Key Takeaways
  • 約31室が厨房の損益分岐点。固定Capex 5,100万円と年間固定運営費 2,740万円を、1室あたり年99.8万円の食事貢献で割り戻した水準。
  • 2026年開業の旅館は平均14.6室(46施設・670室)。分岐点31室を大きく下回り、新規供給の実態と単体採算が正面から衝突している。
  • — 収益側の入力は2食付きの上乗せ幅 中央値 ¥11,300(12都府県・同一施設ペアード比較・掲載価格)。掲載差額をそのまま置かず、実現率70%で割り引いて算入した。
  • — 分岐点を最も動かすのは実現率。100%なら21.0室、50%なら44.9室。固定Capexを15%上げても31.4室とほとんど動かない。
  • — 新規開業の47.9%は貸別荘(683施設)で厨房を持たない。31室未満で厨房を持つなら、目的は単体採算ではなく口コミ評価と指名需要の獲得に置くのが整合的。

供給の実態 — 新規開業の約半分は厨房を持たない業態

投資判断の前に、市場が実際にどちらを選んでいるかを確認しておきたい。メトロエンジンリサーチ&コンサルティングが把握する範囲で、2026年に開業が確認できた宿泊施設は1,425施設。このうち業態別の構成は、貸別荘が683施設(47.9%)と全体の半数近くを占め、ホステル109施設(7.6%)、ゲストハウス75施設(5.3%)が続く。いずれも自前の厨房で調理提供を行わない、あるいはゲスト自炊型のキッチンを備えるだけの業態である。

対照的に、2食提供を前提とする旅館は50施設(3.5%)にとどまる。2023年からの推移を見ると、貸別荘の構成比は36.3%→42.3%→42.9%→47.9%と一貫して上昇し、旅館は4.0%→3.9%→3.4%→3.5%とほぼ横ばいの低位で推移している。

出典:メトロエンジンリサーチ&コンサルティング(OTA掲載確認ベース、2026年 N=1,425施設)

さらに重要なのは1施設あたりの規模である。客室数まで確認できる範囲で集計すると、2026年開業の平均客室数は業態間で桁が違う。ビジネスホテルが100.1室(149施設・14,916室)、リゾートホテルが92.6室(64施設・5,924室)である一方、旅館は14.6室(46施設・670室)、ホステルは17.0室(81施設・1,374室)、貸別荘に至っては1棟あたり1.6室(658施設・1,047室)にすぎない。

出典:メトロエンジンリサーチ&コンサルティング(OTA掲載確認ベース、2026年 N=1,375施設・35,369室)

つまり「厨房を持つ業態」として想定される旅館が、規模の面ではむしろ最小クラスに位置している。この構造が何を意味するのかを、コスト側から積み上げて検証する。

① 厨房のCapex — 面積・特殊工事・機器を1室あたりに換算する

厨房は建物の中で最も工事単価が高い区画である。理由は明快で、床の防水処理、グリストラップ(油脂分離阻集器)の埋設、屋上までの排気ダクト、火気使用室としての防火区画、給排水・ガス・電気の集中配管という、客室部分には存在しない工事が重なるためだ。飲食店の内装・設備工事の坪単価はスケルトン物件で30〜60万円が相場とされ、屋上排気ダクト工事だけで100〜300万円規模になる(店舗内装工事見積り比較.com)。これが躯体工事費に上乗せされる。

躯体側の単価は国土交通省「建築着工統計」に基づく2025年の宿泊業用建築でRC造202.6万円/坪(=約61.3万円/㎡)、S造240.5万円/坪。客室側の原単位がどの水準にあるかは、ホテル1室の建築費は2,067万円 — 計画31件の客室原単位35.0㎡から逆算で計画データから積み上げているので、本稿の厨房区画の単価と併せて読むと配分の全体像がつかみやすい。以下ではRC造を前提に、2食提供を行う最小構成の厨房(厨房区画40㎡)を組み立てる。

厨房の固定Capex内訳(厨房区画40㎡・RC造前提、2食提供の最小構成)
項目金額算出根拠
厨房区画の躯体・床防水・防火区画(40㎡)2,450万円40㎡ × 61.3万円/㎡(RC造202.6万円/坪)
厨房設備工事(グリストラップ・給排水・ガス・電気・防水仕上げ)600万円12.1坪 × 50万円/坪(相場30〜60万円/坪の上位帯。厨房は水回り・排気が集中する)
屋上排気ダクト工事250万円相場100〜300万円の上位帯
厨房機器一式(冷蔵・加熱・製氷・食洗・保管)1,800万円2食提供・30〜40室規模の標準構成
固定Capex 小計(客室数によらず必要)5,100万円〜40室程度まで同一構成で対応可
出典:国土交通省「建築着工統計」/飲食店内装工事の公開相場よりメトロエンジンリサーチ&コンサルティング作成

ここに客室数に比例する部分が加わる。食事処(食事会場)である。1室あたり2席、1席あたり1.0㎡として2.0㎡/室を確保し、躯体61.3万円/㎡に内装10万円/㎡を加えた71.3万円/㎡で計算すると143万円/室となる。

この固定+変動の構造が、規模による1室あたり負担の差を生む。総額を客室数で割ると、15室で483万円/室、20室で398万円/室、31室で308万円/室、60室で228万円/室。15室と60室では1室あたりの厨房関連投資が2.1倍違う。厨房が「小規模施設にとって重い」のは、感覚ではなく固定費の分母の問題である。

15室の場合

総額7,245万円 / 483万円/室
固定Capex 5,100万円を15室で負担

31室の場合

総額9,533万円 / 308万円/室
後述する損益分岐点の規模

60室の場合

総額13,680万円 / 228万円/室
固定Capexの希薄化が効く領域

② 許認可とHACCP — 手数料は小さい、重いのは「施設基準」の側

食事提供の障壁として語られやすいのが許認可と衛生管理だが、金額として見ると実は小さい。飲食店営業許可の申請手数料は東京都で18,300円、全国でおおむね16,000〜19,000円の範囲にある(大田区/東京都保健医療局)。HACCPは2021年6月に完全義務化されたが、従業員50名未満の小規模事業者は業界団体の手引書に沿った自主対応で足り、保健所の無料講習も利用できるため追加費用はほぼ発生しない。認証取得(任意)まで踏み込んでも小規模施設で15万円程度、大規模事業者の計画策定でも20〜50万円が目安とされる(ISO認証ナビ)。

投資判断上のポイントは、コストが「手数料」ではなく「施設基準」の側に乗っていることにある。許可を取るには、洗浄設備、専用の手洗い設備、区画された調理場、適切な換気と排水といった物理要件を満たす必要があり、これらは前節のCapexにすでに織り込まれている。つまり許認可は独立した費用項目というより、厨房を建てるという決断のコストを事後的に確定させる手続きに近い。フィージビリティ段階では、許認可費用を個別計上するより、施設基準を満たす設計になっているかを設計初期に確認するほうが実効性がある。

食事提供に伴う許認可・衛生管理コスト(一時費用と継続費用の区分)
項目金額性質
飲食店営業許可 申請手数料1.8万円一時費用・全国16,000〜19,000円
HACCP対応(従業員50名未満・手引書準拠)実質0円手引書と無料講習で対応可
HACCP認証取得(任意・小規模施設)15万円/年取引先要件がある場合のみ
衛生管理の運用(記録・害虫防除・グリストラップ清掃)60万円/年継続費用・年間固定運営費に計上
出典:東京都保健医療局/大田区公表手数料表、HACCP導入費用の公開相場よりメトロエンジンリサーチ&コンサルティング作成

③ 人員 — 最低賃金1,177円時代の年間人件費

厨房の本当のコストは、建てた後に毎年出ていく人件費である。2026年度の地域別最低賃金は、中央最低賃金審議会の答申ベースで全国加重平均1,177円(前年比+56円)。47都道府県の答申額は最高が東京都1,280円、最低が宮崎県1,085円で、発効日は2026年10月1日から12月2日にかけて順次設定されている。引き上げ幅56円は目安制度が始まった1978年度以降で2番目の大きさであり、パート比率の高い配膳・洗い場の人件費に直接効く。

30室規模で朝夕2食を提供する場合の標準的な人員構成と年間人件費を積み上げる。

30室規模で朝夕2食を提供する場合の人員構成と年間人件費(2026年度最低賃金1,177円ベース)
役割人数年間人件費前提
料理長1名600万円正社員・献立設計と仕入れ管理を兼務
調理スタッフ2名800万円正社員400万円×2名
仕込み・洗い場1名212万円時給1,177円×6時間×300日
配膳2名388万円時給1,177円×5時間×330日×2名
法定福利費(15%)300万円社会保険料事業主負担等
人件費 小計6名2,300万円
出典:厚生労働省 2026年度地域別最低賃金答申(全国加重平均1,177円)をもとにメトロエンジンリサーチ&コンサルティング試算

ここに厨房・食事処の光熱費(ガス・電気・給湯・排気設備)300万円、衛生管理の運用60万円、食器・リネン・消耗品の更新80万円を加え、年間固定運営費は2,740万円となる。なお時給を最低賃金水準で置いているのは保守側ではなく楽観側の前提で、実際の調理補助・配膳の募集時給は最低賃金を上回るのが通例である点は補足しておきたい。

④ 食事付きで取れる上乗せ幅 — 掲載価格から見た入力値

収益側の入力値を取る。ここで使うのは、同一施設が素泊まりプランと食事付きプランの双方を販売している場合に限定した、掲載価格の差額である。異なる施設の平均価格を比べると「食事を出す施設はもともと単価が高い」という選択バイアスが混入するため、同一施設内のペアード比較でしか純粋な食事の付加価値は測れない。

2026年8月時点、主要12都府県の全体値(2名1室・税込)を見ると、素泊まりに対する2食付きの上乗せ幅は京都府の約22,000円(+60.7%、N=49施設)が最も大きく、東京都 約16,800円(+43.2%、N=83施設)、沖縄県 約14,100円(+24.2%、N=87施設)が続く。最も小さいのは宮城県 約7,200円(+35.6%、N=41施設)で、12都府県の中央値は約11,300円となる。

出典:メトロエンジンリサーチ&コンサルティング(2026年8月・同一施設ペアード比較・2名1室・税込)

金額と率が一致しない点は読み方に注意が必要である。京都府は金額・率ともに突出するが、福岡県は金額こそ約10,900円と中位ながら率では+44.5%と高い。素泊まりのベース価格が低いエリアでは、同じ食事内容でも率としての上乗せは大きく見える。厨房投資の回収を考えるうえで効くのは率ではなく金額であり、以下の試算では金額ベースで扱う。

2食付き上乗せ幅の地理的分布(円の大きさ=上乗せ金額)

出典:メトロエンジンリサーチ&コンサルティング(2026年8月・同一施設ペアード比較・2名1室・税込)

業態別に分解すると、同じエリアでも構造がはっきり分かれる。東京都の2026年8月では、ビジネスホテルの2食付き上乗せが約7,200円(+35.3%、N=36施設)にとどまるのに対し、シティホテルは約20,300円(+49.0%、N=24施設)、デラックスホテルは約36,400円(+43.8%、N=16施設)。長野県ではリゾートホテルが約15,200円(N=40施設)に対しビジネスホテルは約6,000円(N=21施設)。北海道でもシティホテル 約16,000円(N=28施設)とビジネスホテル 約7,300円(N=43施設)で2.2倍の開きがある。

エリア・業態別の朝食/2食付き上乗せ幅(2026年8月・同一施設ペアード比較・2名1室・税込)
エリア・業態朝食の上乗せ2食付きの上乗せN(施設)
東京都・デラックスホテル14,856円(+17.1%)36,421円(+43.8%)16
東京都・シティホテル7,224円(+17.3%)20,324円(+49.0%)24
東京都・ビジネスホテル2,806円(+13.7%)7,156円(+35.3%)36
北海道・シティホテル5,819円(+18.7%)15,958円(+47.7%)28
北海道・ビジネスホテル1,957円(+9.4%)7,253円(+34.4%)43
長野県・リゾートホテル2,438円(+4.1%)15,192円(+25.2%)40
長野県・ビジネスホテル1,002円(+5.2%)6,031円(+27.4%)21
静岡県・シティホテル4,229円(+12.8%)19,125円(+50.8%)16
静岡県・ビジネスホテル824円(+5.3%)4,154円(+26.4%)45
出典:メトロエンジンリサーチ&コンサルティング(2026年8月・同一施設ペアード比較・2名1室・税込)

ビジネスホテル業態で上乗せ幅が小さいことは、この業態が朝食のみの軽量なF&B機能に集約してきた合理性を裏づけている。夕食まで踏み込むだけの価格上乗せが取れないのであれば、厨房の規模も人員も朝食提供に必要な最小構成にとどめるのが投資として整合的だ。朝食・夕食の上乗せ幅が地域ごとにどう分布するかは食で稼ぐ県マップ:朝食・夕食プレミアムで見る地域別・業態別の稼得力が業態別に整理している。

掲載価格差をそのまま収益に置かない — 「実現率」という割引

ここが試算で最も慎重を要する箇所である。上で見た11,300円は掲載価格の差額であって、実際に成約した単価の差ではない。素泊まりプランが選ばれる比率、直前の食事なしプランへの切り替え、連泊時の食事なし日の発生、団体・法人契約での個別料率など、掲載差額の全額が売上として着地しない要因は複数ある。参考までに、長野県の2026年8月の推定成約ADR(税抜相当・中央値)は旅館で約14,400円(N=476施設)、リゾートホテルで約19,400円(N=118施設)、ビジネスホテルで約12,200円(N=161施設)であり、掲載価格の差額はこの成約水準に対して決して小さくない。差額をそのまま加算する前提は取りにくい。掲載価格の上昇が原価上昇をどこまで吸収できているかという同型の論点は、二食付旅館の夕食原価率上昇とADR転嫁ギャップが業態別・地域別に定量化している。

そこで本稿では、掲載差額を税抜相当に換算したうえで実現率を掛けて収益に落とす。ベースケースは実現率70%とし、感度分析で50%と100%の両端を検証する。

収益側の積み上げ — 掲載価格の上乗せ幅から年間貢献までの換算(1室泊あたり)
収益側の積み上げ(1室泊あたり)金額
2食付きの上乗せ幅(12都府県中央値・掲載価格・税込)11,300円
税抜相当に換算10,273円
実現率70%を適用(ベースケース)7,191円
食材原価率30%を控除5,034円
稼働率70%(試算前提値・通年)・食事付き比率85%(年217.2室泊)での年間貢献109.3万円/室
出典:メトロエンジンリサーチ&コンサルティングの掲載価格データをもとに試算

損益分岐点の試算 — 厨房が回収できるのは約31室から

4つの要素が揃ったので分岐点を解く。構造は単純で、客室数に比例する年間貢献が、客室数によらず発生する固定負担を上回る点が分岐点になる。

損益分岐点の構成 — 固定負担と1室あたり年間貢献(ベースケース)
区分項目金額
固定(客室数に依存しない)年間固定運営費(人件費6名+光熱+衛生+消耗品)2,740万円/年
固定Capex 5,100万円の償却(15年定額)340万円/年
変動(客室数に比例)食事付き販売による年間貢献+109.3万円/室
食事処Capex 143万円/室の償却(15年定額)−9.5万円/室
分岐点3,080万円 ÷ 99.8万円/室30.9室
出典:メトロエンジンリサーチ&コンサルティング試算(簡易試算であり、実際の投資判断には詳細なフィージビリティ・スタディが必要です)

ベースケースの分岐点は30.9室、実務上は約31室となる。20室では食事部門の年間損益が1,084万円のマイナス、40室では912万円のプラスに転じる。厨房を持つという意思決定は、30室前後を境に符号が反転する。

出典:メトロエンジンリサーチ&コンサルティング試算

実現率の設定が結果を最も大きく動かす。掲載差額を全額収受できる前提(実現率100%)なら分岐点は21.0室まで下がり、逆に半分しか着地しない前提(50%)では44.9室まで上がる。稼働率を70%から60%に落とすと36.6室、食材原価率を30%から35%に引き上げると33.5室、人件費が10%上振れすると33.2室。悲観側を重ねた稼働60%×実現率50%のケースでは53.7室となり、この水準の厨房を回収できる規模の旅館は新規開業ではほぼ存在しない。

出典:メトロエンジンリサーチ&コンサルティング試算

興味深いのは、建設費の感度が相対的に小さいことである。固定Capexを15%引き上げても分岐点は31.4室と、ベースケースからほとんど動かない。厨房投資の重心は建てる費用ではなく、毎年出ていく人件費と、価格上乗せがどれだけ実際に着地するかにある。建設費高騰が語られる局面でも、食事提供機能の可否を左右しているのは主として人件費と実現率だという整理になる。

2軸感度分析 — 実現率 × 稼働率で見た厨房の損益分岐点客室数
実現率\稼働率60%65%70%75%80%
実現率 50%53.7室48.9室44.9室41.5室38.6室
実現率 60%43.5室39.8室36.6室33.9室31.6室
実現率 70%36.6室33.5室30.9室28.6室26.7室
実現率 85%29.5室27.1室25.0室23.2室21.7室
実現率 100%24.8室22.7室21.0室19.5室18.2室
出典:メトロエンジンリサーチ&コンサルティング試算(網掛けはベースケース=実現率70%・稼働率70%〈いずれも試算前提値・通年〉。他の前提は本文と共通)

2軸で見ると、分岐点は18.2室から53.7室まで約3倍の幅で動く。稼働率を60%から80%へ20ポイント引き上げても分岐点は36.6室から26.7室へ9.9室しか下がらないのに対し、実現率を50%から100%へ引き上げると53.7室から24.8室へ28.9室下がる。厨房投資の成否を決めているのは稼働ではなく、掲載差額のうち何割が実際に成約単価として着地するかである。フィージビリティ段階で実データを取りにいくべき変数は、この実現率に絞られる。

2つの投資プロファイル — 厨房あり型と厨房なし型

ここまでの数字を、2食付き旅館型と貸別荘・ホステル型(自前の調理提供を持たない業態)で並べる。30室規模を共通の想定として比較する。

2つの投資プロファイルの比較(30室規模を共通想定)
比較軸2食付き旅館型(厨房あり)貸別荘・ホステル型(厨房なし)
食事関連の初期投資9,390万円(313万円/室)ほぼゼロ(自炊用キッチンは営業許可対象外)
年間の固定運営費2,740万円ゼロ
必要な専門人材料理長・調理スタッフの採用と定着が前提不要。清掃・運営の外部委託が可能
許認可飲食店営業許可+HACCPに基づく衛生管理宿泊業の許可のみ
収益の上振れ余地1室泊あたり+5,034円の粗利貢献客室単価と稼働率にほぼ一本化
需要が落ちたときの構造人件費が固定的に残り、下振れが増幅されやすい固定費が薄く、収縮局面に耐性がある
成立する規模おおむね31室以上(悲観前提では50室超)1棟1〜2室から成立
2026年開業の平均規模旅館 14.6室貸別荘 1.6室/ホステル 17.0室
出典:メトロエンジンリサーチ&コンサルティング(供給データはOTA掲載確認ベース)/試算部分は本稿の前提に基づく

2026年開業の旅館の平均が14.6室であることと、算出した分岐点31室は正面から衝突する。この差をどう読むべきか。可能性は3つある。第一に、新規開業の小規模旅館の多くが2食フル提供ではなく、朝食のみ・夕食は外部提携・仕出し導入といった軽量な形を選んでいる。第二に、オーナー自身が調理を担い、人件費を試算のように外部化していない。第三に、厨房を採算計算の外に置き、ブランドと体験価値のための投資として持っている。いずれにせよ、「小規模でも2食フル提供の厨房を新設して単体で回す」という設計は、現在のコスト構造では選ばれていないという点は共通している。

厨房が買っているもう一つの資産 — 食事評価という差別化

ただし、厨房の価値を価格上乗せだけで測ると重要な要素を取りこぼす。宿泊者口コミのNLP解析で「食事」カテゴリのスコアを業態別に見ると、旅館とビジネスホテルの間には安定した差がある。直近24ヶ月の中央値で、長野県は旅館4.50(328施設・35,715件)に対しビジネスホテル3.91(80施設・4,289件)、京都府は旅館4.66(97施設・7,534件)に対しビジネスホテル4.11(70施設・5,678件)、兵庫県は旅館4.62(163施設・21,646件)に対しビジネスホテル4.08(71施設・5,053件)。7府県すべてで旅館が上回り、その差は0.25〜0.59ポイントに収まっている。

出典:ホテルバンク編集部調べ(宿泊者口コミのNLP解析、直近24ヶ月)

タグ単位で見ると、会席料理や部屋食に言及する口コミの比率は施設によって明確に分かれ、長野県では会席料理への言及が全口コミの5〜6%に達する施設も確認できる(N=589〜1,158件/施設)。食事は、施設の記憶に残る体験として口コミに書かれやすい要素である。厨房への投資は、単年度の粗利では測りにくいこの「書かれる理由」を買っている側面がある。

この観点を試算に戻すなら、厨房は約31室という分岐点を単体で超えなくても、評価スコアの押し上げを通じた稼働・単価への波及まで含めれば正当化できる余地があると読める。逆に言えば、31室を下回る規模で厨房を持つ判断をするときは、価格上乗せではなく評価と指名需要の獲得を明示的な目的に据え、そのKPIで進捗を測るのが筋の通った設計になる。

まとめ — 意思決定を分ける4つの問い

食事提供機能を持つかどうかは、以下の4点に答えられるかで判断できる。

1. 規模は31室を超えるか

固定Capex 5,100万円と年間固定運営費2,740万円を割り戻せる客室数があるか。悲観前提では50室超が必要になる。

2. 掲載差額の何割が着地するか

実現率100%なら21室、50%なら45室。食事付きプランの構成比と直前の切り替え率を実データで押さえる。

3. 料理人材を確保・定着させられるか

分岐点への感度は建設費より人件費のほうが大きい。採用可能性が前提条件になる。

4. 単体採算か、評価獲得か

31室未満で持つなら目的は差別化。価格上乗せではなく口コミ評価と指名需要をKPIに置く。

2026年の新規供給が示しているのは、この4問すべてに「はい」と答えられる案件が少数派になったという事実である。貸別荘の構成比が3年で36.3%から47.9%へ上昇し、新規開業の旅館が平均14.6室にとどまるという二つの数字は、厨房のコスト構造が業態選択そのものを書き換えつつあることを示している。厨房を持つ判断は、いまや設備の話ではなく、規模と人材と価格実現率をセットで設計できるかという事業設計の問いになっている。

⚠ 新規開業データに関する注意:本稿の開業件数・客室数はOTA掲載確認ベースの集計です。掲載は開業の数ヶ月前から出るため、直近以降の月は今後の掲載で増加する可能性があります。年内の後半月ほど過少に見える構造的なバイアスがあり、業態別の構成比は比較的安定する一方、総数は今後上振れする点にご留意ください。

⚠ 掲載価格に関する注意:本稿の上乗せ幅は調査時点で公開されている販売価格の差額であり、チェックイン日に近づくにつれて変動します。また試算は本稿が置いた前提に基づく簡易試算であり、実際の投資判断には個別の設計条件・人件費水準・需要見通しを反映した詳細なフィージビリティ・スタディが必要です。

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参考資料・出典一覧

■ データソース

供給データ(開業件数・業態構成・客室数)はメトロエンジンリサーチ&コンサルティングがOTA掲載を確認した範囲の集計(2026年 N=1,425施設/客室数を把握できたのは N=1,375施設・35,369室)。食事の上乗せ幅は、同一施設が素泊まりと食事付きの双方を販売している場合のみを対象としたペアード比較(2026年8月・2名1室・税込、12都府県 N=41〜468施設)。口コミ評価はホテルバンク編集部調べ(宿泊者口コミのNLP解析、直近24ヶ月・N=14〜328施設)。建築単価は国土交通省「建築着工統計調査」、賃金は厚生労働省「地域別最低賃金」2026年度答申に基づく。

■ 試算前提

厨房区画40㎡・RC造61.3万円/㎡、厨房設備工事12.1坪、屋上排気ダクト250万円、厨房機器一式1,800万円で固定Capex 5,100万円。食事処は2.0㎡/室・71.3万円/㎡で143万円/室。減価償却はいずれも15年定額。年間固定運営費2,740万円(人員6名2,300万円+光熱300万円+衛生管理60万円+消耗品80万円)。収益側は上乗せ幅¥11,300を税抜相当¥10,273に換算し、実現率70%・食材原価率30%・稼働率70%・食事付き比率85%(年217.2室泊。稼働率は通年の試算前提値)を適用。感度分析は実現率50〜100%、稼働率60〜80%の範囲で実施した。

■ 限界・留意点

(1) 上乗せ幅は掲載価格の差額であり、成約価格の差ではない。実現率はこの乖離を吸収するための仮定値であり、実際の成約データによる検証を経ていない。(2) 開業件数はOTA掲載確認ベースのため、掲載が開業の数ヶ月前から出る構造上、直近の月ほど過少に出る。(3) Capexと人件費は全国的な相場水準の代表値であり、立地・工法・採用市況による振れ幅は織り込んでいない。(4) 本稿は所与の前提に基づく簡易試算であり、実際の投資判断には個別の設計条件・人件費水準・需要見通しを反映した詳細なフィージビリティ・スタディが必要である。

■ 市場データ

  • メトロエンジンリサーチ&コンサルティング — 同一施設ペアード比較による食事別掲載価格(2026年8月、12都府県 N=41〜468施設)、推定成約ADR、業態別の開業件数・客室数(OTA掲載確認ベース、2026年 N=1,425施設)
  • ホテルバンク編集部調べ(宿泊者口コミのNLP解析) — 「食事」カテゴリの評価スコア中央値(直近24ヶ月、府県・業態別 N=14〜328施設)

■ 政府統計・公的データ

■ 業界情報・相場資料

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