日本を訪れる外国人観光客(インバウンド)の急増により、国内の観光産業は大きな恩恵を受けている。一方で、主要観光地の混雑や地域住民への影響、そして日本人旅行者の動向変化など、新たな課題も顕在化してきた。以下では、最新のデータや公的情報に基づき、観光業界の現状と未来を考える。
(観光庁の資料を基にホテルバンク作成)
訪日客数は2019年に約3,188万人(過去最多)に達したものの、2020~2021年は新型コロナの影響で激減し、2021年は約24.6万人に留まった。その後、水際対策の緩和に伴い急速に回復し、2024年の訪日外国人旅行者数は約3,686万9,900人となり、前年比+47.1%増と大幅増加、コロナ前の2019年も約500万人上回って過去最多を記録した。現在、政府は2030年に訪日客数6,000万人という目標を掲げており、目標達成に向け、訪日プロモーション強化や地方誘客など戦略的な取り組みが進められている。
(出典:帝国データバンク)
インバウンド需要の急増は宿泊業界の業績を押し上げている。コロナ禍で大打撃を受けたホテル・旅館業もV字回復を遂げ、2023年度の売上高は約3兆2,213億円(前期比+25.1%)を記録し、客室稼働率の上昇に伴い、宿泊料金の値上げが進んだ。都市部ではホテルの客室単価(ADR)がコロナ前より約3割高く、2023年10-12月期には大手ホテルチェーンの半数で稼働率が80%を超えた。さらに円安も追い風となり、日本人と訪日客の間でホテル予約の競争が激化している。一方、宿泊需要の回復には地域差があり、2019年比で宿泊者数が増加したのは12都道府県に限られる。また、宿泊業界には人手不足やサービス維持の課題もあり、インバウンド特需を持続的成長につなげる取り組みが求められている。
一方で、観光客の急増によりオーバーツーリズムの問題も深刻化している。京都市では公共交通の混雑が深刻化し、市バスの混雑が住民の通勤・通学に影響を及ぼしている。観光客で賑わう嵐山では歩道から人があふれ、危険な状況も確認されている。さらに違法民泊が乱立し、ピーク時には9割が無許可営業との推計もある。住環境の悪化を受け、京都市は営業日数制限や市バス一日乗車券の廃止などの対策を進めている。
大阪では道頓堀や心斎橋筋商店街が終日混雑し、治安や環境への懸念が高まっている。大阪府は2025年の関西万博に向け、新たな観光税の導入を検討中である。東京においても、浅草や新宿など外国人に人気のエリアでは観光客密度が高まりつつあり、特に渋谷区ではハロウィーン時の路上飲みや混雑が社会問題化したことで2023年には異例の来街自粛要請が出された。富士山では登山客増加による環境負荷を懸念し、入山料の引き上げが検討されている。各地域ごとに対策は行われているものの、観光客の急増は生活インフラに負担をかけており、観光地の満足度低下や地域住民の負担軽減に向けた受け入れ体制の整備が求められている。
(出入国在留管理庁の資料を基にホテルバンク作成)
インバウンド熱とは対照的に、日本人の旅行需要は伸び悩んでいる。日本人の海外旅行者数はコロナ後も低調で、2024年は約1,300万人と2019年比で35.2%減少した。円安や物価高によるコスト上昇に加え、コロナ禍で海外渡航を控える流れが続いており、国内旅行についても一時的な需要喚起策で回復したが、物価上昇や旅行費用の高騰によりコロナ前を上回るには至っていない。観光庁の宿泊旅行統計によれば、2023年の日本人延べ宿泊者数は2019年比99.5%まで回復したが、全国旅行支援の影響も大きく、割引終了後の反動減が見られる。実質賃金のマイナスが続く中、インバウンド客急増に伴う宿泊料金の高騰が日本人旅行者を押し出す「クラウディングアウト」も指摘されている。
急増するインバウンド需要と国内観光の活性化を両立させるため、政府や自治体、業界団体は様々な施策を講じている。政府は「第4次観光立国推進基本計画」に基づき、2030年までに訪日客6,000万人・消費額15兆円を目標に、地方誘客や受入環境の整備を強化。訪日客向けの周遊ツアーや二次交通の充実に補助金を出し、人気観光地への集中を緩和する取り組みも進めている。一方、国内旅行支援としては「全国旅行支援」などが実施され、割引施策により一定の需要回復が見られたが、割引依存からの脱却と持続的な需要創出が課題である。宿泊業界では、繁忙期に国内客向けプランを強化し、閑散期にインバウンド需要を取り込む工夫を進めるほか、人手不足対策としてチェックインの機械化や外国人スタッフの採用拡大が進められている。
観光公害対策としては、東京都・大阪府・京都市で宿泊税が導入され、大阪府では外国人向け新税の検討が進む。ニセコ町などでも宿泊税導入の動きがあり、税収を観光インフラ整備に活用する方針である。また、違法民泊の取り締まり強化とともに、国家戦略特区を活用し空き家を宿泊施設に転用する試みも進む。今後は、観光客数の増加だけでなく、一人当たりの消費額向上や地域経済への貢献を重視する「質の高い観光」への転換が求められるであろう。インバウンドと国内旅行の好循環を生み出し、地域経済の活性化と環境保全を両立することが今後の課題となる。