長野県山ノ内町の株式会社ヤドロクが2026年8月20日に設立を公表した「温泉旅館事業承継1号投資事業有限責任組合」は、後継者のいない客室10室程度の温泉宿を移住希望者とともに再生し、移住者が家業として継ぐまでを支える総額2.2億円のファンドである。同社の本拠地である渋温泉の周辺2km圏には91軒・1,245室の宿があり、価格掲載が確認できる67軒のうち76%が15室以下に収まる。本稿では、この「小さな宿の街」の供給構造と山ノ内町の推定成約ADR(2026年8月は約1万2,700円)を使い、11室の宿が生む客室売上と、2.2億円が何軒分の承継資金に当たるかを試算する。
本記事における指標の定義
| ADR(平均客室単価) | 各施設がOTA上で公開する最安プラン水準(2名1室利用時・1室あたり料金・税込)に業態別の補正係数を適用して算出した推定成約単価(税抜相当)。上場ホテルREITが開示する物件別実績との照合(91施設・直近3ヶ月間)で誤差中央値は約7%。推定値であり、各施設の実際の成約価格・会計数値とは異なります。エリア単位のADRは対象施設の中央値(エリアの標準的な施設の水準)。 |
| 客室稼働率 | 試算の前提値には観光庁「宿泊旅行統計調査」2025年・年間値(確定値)の旅館の客室稼働率を用いた。 |
| 試算の位置づけ | 客室売上・投資額・回収年数はすべて編集部が置いた前提値による簡易試算で、ファンドや運営会社が公表した計画値ではない。 |
| データ出典 | メトロエンジンリサーチ(国内で稼働が確認できる約27,000施設を分析対象とする) |
- — ヤドロクが2026年8月20日に公表した温泉旅館事業承継ファンドは総額2.2億円(現段階)。GPは同社、LPは地元関係者で、対象は客室10室程度の温泉宿。存続期間・件数・1件あたり投資額は公表されていない。
- — 渋・湯田中2km圏は91軒・1,245室で、2016年の89軒・1,265室からほぼ横ばい。価格掲載が確認できた67軒のうち76%(51軒)が15室以下。
- — 山ノ内町の推定成約ADRは2026年8月に12,687円(N=101施設、前年同月比−1.8%)。2025年12月は16,360円(同+29.1%)と、冬に上がる町である。
- — 11室の宿の年間客室売上は、通年の稼働率27.2%〜55%の3シナリオで1,384万〜2,798万円(標準1,943万円。付帯売上を除く編集部試算)。
- — 1軒あたり必要資金を3,000万〜1.1億円と仮定すると、2.2億円は2〜7軒分。5,500万円の場合の回収は標準で11.3年、ADRを約1万4,300円に上げれば10年。
ファンドの骨格 — 公表されている事実は5点、残りは白紙
まずは、一次情報で確認できる範囲を整理しておきたい。ヤドロクの公式発表(2026年8月20日)とプレスリリースによれば、組合の正式名称は「温泉旅館事業承継1号投資事業有限責任組合」で、通称を「温泉旅館事業承継ファンド」という。無限責任組合員(GP)はヤドロク、有限責任組合員(LP)は「地域の活性化を支援する地元関係者」とされ、ファンド総額は「現段階で2.2億円」と記されている。
投資の対象は「家族経営ができる客室数10室程度の超小規模宿泊施設」で、後継者のいない温泉宿の再生を移住希望者とともに行い、最終的に移住者が地域で家業として宿を承継するまでを一貫して支援するという。加えて、大学との連携による旅館の経営・運営人材の育成にも触れている。一方で、ファンドの存続期間、目標とする件数、1件あたりの投資額、投資先の施設名は公表されていない。
同社はこれに先立つ2026年7月1日付で、渋温泉の「月見の湯 山一屋」を承継したと発表している。メトロエンジンリサーチの施設データでは同館の客室数は11室で、ファンドが対象とする規模帯にそのまま重なる。ただし、この承継とファンドの関係は公表資料からは読み取れないため、本稿では「10室規模の宿が動いた直近の実例」として扱う。
| 項目 | 公表内容 | 出典 |
|---|---|---|
| 名称 | 温泉旅館事業承継1号投資事業有限責任組合(通称:温泉旅館事業承継ファンド) | ヤドロク公式・2026年8月20日 |
| GP/LP | GP:株式会社ヤドロク/LP:地域の活性化を支援する地元関係者 | 同上 |
| ファンド総額 | 現段階で2.2億円 | 同上 |
| 対象 | 家族経営ができる客室数10室程度の超小規模宿泊施設 | プレスリリース・2026年8月20日 |
| 仕組み | 移住希望者とともに再生し、移住者が家業として承継するまでを一貫支援。大学と連携した人材育成 | 同上 |
| 期間・件数・1件あたり投資額・投資先 | 公表なし | — |
器として選ばれた投資事業有限責任組合(LPS)は、投資事業有限責任組合契約に関する法律に基づく組合である。業務を執行するGPが無限責任を負い、LPは出資の価額を限度として責任を負う。組合が営める事業は、株式や持分の取得、金銭債権の取得、事業者への貸付けなど法律に列挙されたものに限られるため、一般論としては宿を営む会社への出資や融資を通じて関与する形になる。地元の出資者にとっては責任の上限が出資額で区切られる点が、参加のしやすさにつながる器といえる。
渋・湯田中2km圏の供給 — 91軒1,245室、10年ほぼ横ばいの「小さな宿の街」
ファンドの足元にある市場はどのような構造か。渋温泉を中心とする半径2km圏(湯田中・安代・上林・角間の各温泉を含む)の宿泊施設は、2016年の89軒・1,265室に対し2026年は91軒・1,245室と、10年間ほとんど動いていない。1軒あたりの平均は13.7室で、新規開業が積み上がる都市部とは対照的に、既存の宿が入れ替わらずに続いてきた温泉街である。
このうち、2025年9月〜2026年8月の12か月間に予約サイトで価格掲載が確認できたのは67軒・968室だった。残る施設は、直販や電話予約が中心であったり、季節を限って営業していたりする宿が含まれるとみられる。67軒の客室数の中央値は10室で、10室以下が38軒、11〜15室が13軒と、15室以下だけで全体の76%を占めている。ファンドが掲げる「10室程度」は、この街ではむしろ標準的な宿の姿といえる。
立地を読む — 2km圏の居住人口4,196人、高齢比45.5%が示す「継ぎ手」の希少さ
では、なぜ承継の相手が「移住者」なのか。背景にあるのは、温泉街そのものの人口構成だ。国土交通省の250mメッシュ別将来推計人口によると、渋温泉2km圏の居住人口は2020年の4,639人から2025年推計で4,196人に減り、2040年には2,965人(2020年比−36.1%)まで縮む見通しになっている。2025年時点の65歳以上の比率は45.5%で、生産年齢人口(47.5%)とほぼ並ぶ。
67軒の宿に対して圏内の生産年齢人口は1,993人にとどまり、宿1軒あたり約30人という計算になる。地元の中だけで継ぎ手を探す余地が年々細くなるなかで、外から来る人に家業として渡す設計は、人口構成から見て自然な選択と読める。なお、ここで扱うのは国勢調査ベースの居住人口であり、宿泊客を含む滞在人口ではない。
| 2020年 | 4,639人 |
| 2025年(推計) | 4,196人 |
| 2040年(推計) | 2,965人 |
| 65歳以上比率(2025年) | 45.5% |
| 2016年 | 31,033円/㎡ |
| 2020年 | 27,700円/㎡ |
| 2026年 | 23,833円/㎡(前年比−2.48%) |
| 町内最高地点(大字平穏) | 27,800円/㎡ |
地価の面では、山ノ内町の公示地価平均は2026年に1㎡あたり23,833円(前年比−2.48%)で、2016年の31,033円から10年で約23%下がった。町内の最高地点である大字平穏でも27,800円にとどまる。仮に敷地300㎡の宿であれば土地の評価は700万〜800万円台という水準で、取得資金のうち土地が占める割合は小さい。裏を返せば、承継の資金計画は土地よりも建物の改修と開業後の運転資金に重心が置かれる市場だといえる。
単価の季節性 — 山ノ内町は冬に上がる町、12月は前年比+29.1%
客室売上を左右する単価はどうか。山ノ内町全体の推定成約ADRは、確定値の最新月である2026年8月が12,687円(N=101施設)で、前年同月の12,914円から−1.8%とほぼ横ばいだった。6月は10,434円、7月は10,983円と、夏の入り口は1万円台前半で推移している。
ただし、この町の単価の山は夏ではなく冬にある。2025年12月は16,360円(前年同月比+29.1%)、2026年1月は15,048円(同+12.4%)、2月は14,363円(同+14.3%)と、スキーシーズンの3か月は前年を2桁上回った。2025年9月〜2026年8月の12か月を日数で加重平均すると約1万2,700円になり、12〜3月の4か月(年間日数の33%)が単価ベースで年間の39%を占める計算になる。8月20日のファンド設立から初めての冬は、承継した宿の収益力を測る最初の試金石になるだろう。
ポジショニング — 客室規模×推定成約ADR、16〜30室帯だけが2.9万円
次に、2km圏の宿を客室規模と単価で並べてみる。推定成約ADRを6か月以上算出できた52軒について直近12か月の平均をとると、10室以下の中央値は約1万1,000円(N=28)、11〜15室は約1万2,700円(N=10)で、小規模帯は町全体の水準とほぼ重なる。これに対し16〜30室帯は約2万9,500円(N=5)と、同じ温泉街の中で2倍以上の単価帯を形成している。
| 客室規模 | 施設数 | 客室数 | 推定成約ADR中央値 | 第1〜第3四分位 | ADR算出N |
|---|---|---|---|---|---|
| 10室以下 | 38 | 268 | ¥10,962 | ¥7,969〜¥14,228 | 28 |
| 11〜15室 ファンド対象帯 | 13 | 156 | ¥12,721 | ¥8,852〜¥18,494 | 10 |
| 16〜30室 | 6 | 129 | ¥29,496 | —(N=5) | 5 |
| 31室以上 | 10 | 415 | ¥11,816 | ¥9,199〜¥30,550 | 9 |
| 合計 | 67 | 968 | ¥11,606 | — | 52 |
密集 15室以下 × 1.5万円未満
ADRを算出できた15室以下38軒のうち29軒がここに集まる。家族経営の宿が標準的な価格で並ぶ、この街の中心的なゾーン。
機会① 15室以下 × 2万円超
該当するのは38軒中4軒。10室規模のまま単価を引き上げた先行例があり、改装後の到達点として参照できる。
機会② 16〜30室 × 2.5万円超
中央値2.9万円の帯。温泉街として高単価を受け止める需要があることを示しており、小規模帯の伸びしろの根拠になる。
ここから読み取れるのは、渋・湯田中という立地が高単価を受け止められないわけではない、という点である。同じ外湯めぐりの街並みの中で2万〜3万円台の宿が成立している以上、10室規模の宿にとっても、客室の造作や食事、貸切風呂といった商品設計しだいで単価帯を移る余地がある。承継と同時に改装資金が入るファンドの仕組みは、この移動を後押しする役割を担いうる。なお、範囲を渋温泉の外湯から半径800m圏に絞った30軒・350室(本稿の2km圏91軒とは集計範囲が異なる)の供給構造と、城崎・野沢・鉄輪との単価階層の比較は、外湯温泉街4か所の客室供給とADRを比べた記事で整理している。
口コミが語る資産 — 「女将・主人」への言及は9.1%、人が商品になる街
小さな宿の価値は、数字に表れにくい部分にもある。ホテルバンク編集部が2km圏の65施設・11,462件の宿泊者口コミ(直近24か月)を自然言語処理で分析したところ、温泉への言及が21.9%(2,506件)で最も多く、スタッフの親しみやすさが17.2%(1,971件)、女将・主人など店主の人柄が9.1%(1,048件)と続いた。おもてなしへの言及も5.8%(663件)あり、いずれも肯定的な文脈がほとんどを占めている。
注目したいのは、店主への言及が42施設に広がっている点だ。「人」が評価の中心にある宿では、経営者が替わる承継の局面こそ、引き継ぎの期間と育成の仕組みが価値を左右する。ファンドが大学と連携した人材育成を掲げ、移住者が継ぐまでを「一貫して」支えるとしているのは、この温泉街の口コミ構造と整合的といえる。あわせて、貸切風呂(6.0%)や駅からの送迎(5.8%)といった小規模宿ならではの要素も一定の言及を集めていた。
11室の宿の客室売上 — 3シナリオで年1,384万〜2,798万円
それでは、11室の宿は年間でどれだけの客室売上を生むのか。山ノ内町の月別推定成約ADR(2025年9月〜2026年8月の確定値)に、通年一律の前提稼働率を掛けて3つのシナリオを置いた。保守シナリオは観光庁統計の長野県・旅館の客室稼働率27.2%(2025年確定値)、標準シナリオは同じく全国・旅館の38.2%、上位シナリオは編集部の前提値として55%を採用している。
| 項目 | 保守 | 標準 | 上位 |
|---|---|---|---|
| 客室数 | 11室 | 11室 | 11室 |
| 前提稼働率(通年) | 27.2% | 38.2% | 55.0% |
| 稼働率の根拠 | 長野県・旅館(2025年) | 全国・旅館(2025年) | 編集部前提値 |
| 年間販売室数 | 1,092室 | 1,534室 | 2,208室 |
| ADR(年間・日数加重) | ¥12,670 | ¥12,670 | ¥12,670 |
| 年間客室売上 | 1,384万円 | 1,943万円 | 2,798万円 |
| 1室あたり年間客室売上 | 126万円 | 177万円 | 254万円 |
標準シナリオの年間客室売上は約1,943万円、1室あたりでは約177万円になる。この試算は客室売上のみを対象にしており、1泊2食が基本の旅館では料飲売上がここに上乗せされる点に留意したい。また、ADRに町全体の中央値を使っているため、前節で見た2万円超の帯に移れば売上の水準は変わってくる。あくまで「町の標準的な単価で、統計並みの稼働を取った場合」の起点として読むのが適切だろう。
2.2億円は何軒分か — 1軒3,000万〜1.1億円の仮定で2〜7軒
ファンドは1件あたりの投資額を公表していない。そこで、取得・改装・当初運転資金を合わせた1軒あたりの必要資金を3通りに仮定し、2.2億円が何軒分に当たるかを逆算した。以下の金額は編集部の仮定であり、ファンドの計画を示すものではない。組合の運営費用は考慮せず、借入の併用もない単純な割り算としている。
| 項目 | A. 軽改装 | B. 中規模改装 | C. 全面改装 |
|---|---|---|---|
| 1軒あたり必要資金(仮定) | 3,000万円 | 5,500万円 | 1億1,000万円 |
| 1室あたり(11室の場合) | 273万円 | 500万円 | 1,000万円 |
| 2.2億円で賄える軒数 | 7.3軒 | 4.0軒 | 2.0軒 |
| 2km圏の15室以下51軒に対する比率 | 約14% | 約8% | 約4% |
| 回収年数(標準・事業CF率25%) | 6.2年 | 11.3年 | 22.6年 |
| 回収年数(上位・事業CF率25%) | 4.3年 | 7.9年 | 15.7年 |
| 回収年数(標準・事業CF率15%) | 10.3年 | 18.9年 | 37.7年 |
1軒3,000万円なら7軒、5,500万円なら4軒、1.1億円なら2軒というのが単純な逆算の結果である。2km圏で15室以下の宿は51軒あるため、2.2億円は最大でもその1割強に届く規模にあたる。「1号」という名称が示すとおり、まずは数軒で型をつくる規模感と受け止めるのが自然だろう。
回収の目線では、標準シナリオで客室売上の25%が手元に残ると仮定した場合、年間の事業キャッシュフローは約486万円になる。3,000万円の投資なら6.2年、5,500万円なら11.3年で元本に届く計算だ。5,500万円を10年で回収しようとすると、稼働率38.2%(通年・全国の旅館、2025年)のままなら必要なADRは約1万4,300円で、町の年間水準から+13%の引き上げにあたる。16〜30室帯の中央値が2.9万円であることを踏まえれば、改装を伴う承継で狙える範囲といえる。
感度分析(B. 中規模改装5,500万円・標準シナリオ・事業CF率25%)
| 項目 | ベース | ADR −10% | 稼働率 −5pt | 両方 |
|---|---|---|---|---|
| 年間客室売上 | 1,943万円 | 1,749万円 | 1,689万円 | 1,520万円 |
| 事業CF | 486万円 | 437万円 | 422万円 | 380万円 |
| 投資額に対する利回り | 8.8% | 7.9% | 7.7% | 6.9% |
| 回収年数 | 11.3年 | 12.6年 | 13.0年 | 14.5年 |
2軸の感度 — 回収年数(B. 中規模改装5,500万円・事業CF率25%)
| 前提稼働率(通年)\ADR | ¥11,400 (−10%) | ¥12,670 (町の年間水準) | ¥14,300 (+13%) | ¥16,000 | ¥20,000 |
|---|---|---|---|---|---|
| 27.2%(長野県・旅館) | 17.7年 | 15.9年 | 14.1年 | 12.6年 | 10.1年 |
| 33.2%(標準−5pt) | 14.5年 | 13.0年 | 11.5年 | 10.3年 | 8.3年 |
| 38.2%(全国・旅館) | 12.6年 | 11.3年 | 10.0年 | 9.0年 | 7.2年 |
| 45.0% | 10.7年 | 9.6年 | 8.5年 | 7.6年 | 6.1年 |
| 55.0%(上位) | 8.7年 | 7.9年 | 7.0年 | 6.2年 | 5.0年 |
2軸で見ると、町の年間水準の単価(12,670円)のままでは、通年の稼働が約43%を上回らない限り回収は10年を超える。一方、単価を2万円まで引き上げられれば、長野県の旅館平均と同じ27.2%の稼働でも約10年まで縮まる。同じ圏内に2万円を超える小規模宿が実在することを踏まえると、統計平均を大きく上回る稼働を前提に置くよりも、単価帯の移動を軸に回収を設計するほうが現実的な選択肢といえる。
出口の設計 — 承継者が買い取るまでの3つの論点
このファンドの特徴は、出口が第三者への売却ではなく「承継者本人による買い取り」に置かれている点にある。移住者が運営を担いながら経験と資金を積み、最終的に家業として引き取るまでの道筋では、少なくとも3つの制度上の論点が関わってくる。
| 論点 | 制度の要点 | 承継設計への含意 |
|---|---|---|
| 譲渡の形 | 宿を営む法人の株式・持分を譲る方法と、事業そのものを譲る事業譲渡がある | 株式・持分の譲渡なら営業者である法人は変わらず、許可や契約をそのまま引き継ぎやすい |
| 旅館業許可 | 2023年12月13日施行の改正旅館業法で、事業譲渡でも承認手続により営業者の地位を承継できるようになった | 譲渡の効力発生前に承認を受ける必要があり、保健所との事前相談を日程に組み込みたい |
| 経営者保証 | 「経営者保証に関するガイドライン」には事業承継時の特則があり、前経営者と後継者の双方から保証を取ることは原則として求めない考え方が示されている | 買い取り時に承継者が借入を起こす場合、保証の扱いを金融機関と早めに協議する余地がある |
買い取りの原資については、日本政策金融公庫の融資や事業承継税制といった既存の制度が組み合わせの候補になる。旅館向け公庫融資の上限と客室規模の関係は旅館の公庫融資を扱った記事で、親族内承継を前提とした税制の期限は事業承継税制の記事で整理している。不特定多数から小口で資金を集める不動産特定共同事業(327事業者の集計)と比べると、今回のLPSは地元の少数の出資者が事業そのものに資金を入れる器であり、利回り商品というより地域の事業承継インフラに近い性格を持つ。
機会とリスク — 冬の単価上昇は追い風、人口構成は時間軸を縛る
| 要因 | 内容 | 評価 |
|---|---|---|
| 単価トレンド | 2025年12月〜2026年3月の推定成約ADRは前年同月比+12〜29% | 機会 |
| 供給 | 2km圏は10年間で89軒→91軒。新規供給による競合の増加は限定的 | 機会 |
| 単価の上方余地 | 同じ圏内に中央値2.9万円の帯(16〜30室)が成立 | 機会 |
| 季節性 | 6〜7月は1万円台前半。通年の資金繰りは冬の4か月に依存しやすい | 留意 |
| 人口 | 2km圏の居住人口は2040年に2020年比−36.1%。雇用よりも家族経営が前提になる | 留意 |
| 建物 | 口コミでは建物の古さへの言及が8.3%(951件)。改装投資が評価に直結しやすい | 留意 |
ここまでを整理すると、渋・湯田中の市場は「供給が増えず、冬の単価が伸び、上の価格帯が実在する」という3点で小規模宿の承継に追い風がある。一方で、圏内人口の減少は従業員を雇って規模を広げる選択肢を狭めるため、家族で回せる10室規模に絞るというファンドの対象設定は、立地の制約を前提にした合理的な線引きと読める。
読者別の示唆 — 金融機関・出資者・宿のオーナー・自治体
地域金融機関の事業承継担当にとっては、エクイティが先に入り、承継者が経験を積んでから買い取る二段階の設計が、買い取り時の融資審査に実績という材料を与える点に注目したい。運営期間中の月次の客室売上が、そのまま融資判断の根拠になるからである。
出資を検討する地元関係者には、1軒あたりの投資額と回収年数の関係を自分の時間軸で確かめることが有効といえる。本稿の試算では、5,500万円の投資を標準的な稼働と単価で回収するのに約11年を要し、単価を13%引き上げれば10年に収まる。金銭的な利回りだけでなく、温泉街に宿が1軒残ることの波及をどう評価するかが判断の分かれ目になるだろう。
後継者を探している宿のオーナーにとっては、廃業か親族承継かの二択に「第三者に時間をかけて渡す」という選択肢が加わったことになる。そして自治体の観光・移住担当には、移住施策と宿の承継を一体で設計する機会が生まれている。住まい、子育て、冬の暮らしといった生活面の支援は、宿を継ぐ人の定着に直結するためだ。
よくある質問
Q. 温泉旅館事業承継ファンドはどんな宿を対象にしていますか。
A. 公表資料では「家族経営ができる客室数10室程度の超小規模宿泊施設」とされています。後継者のいない温泉宿を移住希望者とともに再生し、移住者が家業として承継するまでを支援する仕組みです。
Q. ファンドの規模と出資者は公表されていますか。
A. 総額は現段階で2.2億円、GPは株式会社ヤドロク、LPは「地域の活性化を支援する地元関係者」と公表されています。存続期間や1件あたりの投資額、投資先は公表されていません。
Q. 渋温泉周辺の宿の宿泊単価はどのくらいですか。
A. 山ノ内町全体の推定成約ADRは2026年8月で約1万2,700円(N=101施設、税抜相当・1室あたり)です。冬は上がる傾向があり、2025年12月は約1万6,400円でした。
まとめ
ヤドロクの温泉旅館事業承継ファンドは、総額2.2億円という規模で、10室程度の温泉宿を移住者に渡すまでの時間を資金面から支える仕組みである。渋・湯田中2km圏は91軒・1,245室が10年間ほぼ横ばいで、価格掲載のある宿の76%が15室以下という、対象に事欠かない市場だった。
11室の宿が町の標準的な単価と統計並みの稼働で生む客室売上は年1,943万円前後で、1軒あたりの投資額を3,000万〜1.1億円と仮定すれば2.2億円は2〜7軒分に相当する。回収の鍵は単価帯の移動にあり、同じ圏内に2.9万円の帯が成立していることがその根拠になる。冬の単価が前年を2桁上回って推移するなか、設立後初めての繁忙期の実績が、次の出資と次の承継を呼び込む材料になるといえる。
データに関する注意:本記事のADRは2026年8月までの確定月の推定値を用いており、調査時点(2026年10月4日)以降の月の水準は基準にしていない。客室売上・投資額・回収年数は前提値に基づく簡易試算であり、個別施設の実績や特定のファンドの運用成果を示すものではない。
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参考資料・出典一覧
■ データソース
メトロエンジンリサーチ&コンサルティングの集計データ(山ノ内町の月別推定成約ADR:2024年8月〜2026年8月の確定月・各月N=89〜131施設/渋温泉を中心とする半径2km圏の施設・客室数:N=91施設、うち2025年9月〜2026年8月に価格掲載を確認した67施設・968室/施設別の推定成約ADR:6か月以上算出できた52施設)、ホテルバンク編集部による口コミ解析(65施設・11,462件・直近24か月)、観光庁「宿泊旅行統計調査」2025年・年間値(確定値)、国土交通省 国土数値情報(250mメッシュ別将来推計人口)、国土交通省「地価公示」、株式会社ヤドロクの公式発表・プレスリリース(2026年7月1日、8月20日)。
■ 試算前提
客室数11室・365日営業。ADRは山ノ内町の2025年9月〜2026年8月の月別推定成約ADRを日数で加重した12,670円(税抜相当・1室あたり)。稼働率は通年一律とし、保守27.2%(長野県・旅館、2025年)、標準38.2%(全国・旅館、2025年)、上位55%(編集部前提値)を置いた。1軒あたり必要資金は3,000万円・5,500万円・1億1,000万円の3通りを編集部が仮定し、事業CF率(客室売上に対する比率)は25%と15%とした。回収年数は必要資金÷年間事業CFの単純計算で、借入・金利・税・組合の運営費用、料飲などの付帯売上は含めていない。
■ 限界・留意点
ファンドの存続期間・目標件数・1件あたり投資額・投資先は公表されておらず、本稿の試算はファンドの計画値ではない。ADRは町全体の中央値にもとづく推定値で、個別の宿の成約単価や会計数値とは異なる。稼働率は県・全国の旅館平均を当てはめた前提値であり、渋・湯田中の実績値ではない。16〜30室帯の中央値はN=5と少なく、参考値として読む必要がある。2km圏91軒のうち価格掲載が確認できなかった24軒は、規模別・単価別の集計に含まれない。
■ 一次情報(ファンド・承継)
| 株式会社ヤドロク「温泉旅館事業承継ファンドを設立しました」(2026年8月20日) |
| PR TIMES「ヤドロク、温泉旅館事業承継ファンドを設立」(2026年8月20日) |
| 株式会社ヤドロク「渋温泉『月見の湯山一屋』を承継しました」(2026年7月1日) |
■ 市場データ
| メトロエンジンリサーチ&コンサルティング — 推定成約ADR(山ノ内町・各月N=89〜131施設)、渋温泉2km圏の施設・客室データ(N=91施設/価格掲載確認67施設) |
| ホテルバンク編集部調べ(NLP解析) — 宿泊者口コミ11,462件・65施設・直近24か月 |
■ 政府統計・公的データ
| 観光庁「宿泊旅行統計調査」2025年・年間値(確定値、2026年7月6日公表) |
| 国土交通省 国土数値情報(250mメッシュ別将来推計人口) |
| 国土交通省「地価公示」(2026年・山ノ内町) |
| 経済産業省「投資事業有限責任組合契約に関する法律」逐条解説 |
| 厚生労働省 旅館業法改正・事業譲渡に係る手続の資料(2023年12月13日施行) |
| 中小企業庁「経営者保証に関するガイドライン」 |
■ 業界資料
| リロホテルソリューションズ「GOPとは?ホテル・旅館の利益を測る重要指標」 |
