新潟県糸魚川市の山あいにある集落・市野々(いちのの)で、宿の発想を「一棟貸し」から「一村貸し」へ広げる試みが始まった。通年で暮らす住民はわずか1世帯2人。築200年超の古民家に泊まりつつ、集落全体を“宿の舞台”として滞在する。
1日1組限定で、地域の伝承人(ガイド)が案内し、湧き水を汲む朝や森を歩く昼、田畑に沈む光を眺める夕方など、季節ごとの暮らしに触れる設計だ。人口減少が進む限界集落で「地域風景※」をどう未来へ手渡すか。観光と継承の間を探る新たな宿泊のかたちとして注目される。
今回は、「一村貸し」の運営を行う株式会社伝燈に取材した。
宿屋『堂道(どうみち)』公式サイト:https://den-tou.jp/
※地域風景とは、地域の暮らしと風景が結びつき、一つ一つの景色の理由に触れられる風景のこと
―――「一棟貸し」ではなく「一村貸し」という言葉に込めた定義として、宿泊者に“どこまで(建物・集落・体験)を宿として味わってほしい”と考え、設計されましたか。
私たちは、日本の奥地に今も残る人里離れた集落の魅力を、現代へ再接続することから始めました。そのため、単に「建物」を貸す宿にはしたくありませんでした。
「一棟貸し」が空間を“貸す”概念だとすれば、
「一村貸し」は、風景・営み・時間そのものを“受け取る”という考え方です。
宿泊者に味わってほしいのは、古民家という滞在の「器」を通して、集落という「舞台」で、暮らしという「時間」を過ごすことです。
扉を開けた先で出会う、春先に立ち上る朝霧、畑の土の匂い、道端の草花に込められた意味。
それらをただ鑑賞するのではなく、自ら触れ、関わることで初めて立ち上がる小さな物語を味わっていただきたいと考えています。
宿泊施設という枠を超えて、「風景そのものに滞在する」。
その思想から、私たちは「一村貸し」と定義し、集落にあるものすべてを味わっていただける設計にしています。
―――通年人口2人(1世帯)という現状のなかで開始に至った背景(市野々の変化をどう捉え、何を守りたいと考えたかなど)を、差し支えない範囲で教えてください。
糸魚川市の山間にある市野々は、かつて農業で栄え、集落にあった小学校には100人を超える児童が通っていました。
しかし現在は、通年人口2人(1世帯)となりました。客観的に見れば「消滅寸前」という状況です。
けれど私が初めてこの地を訪れたとき、そこには現代社会が失いつつある「生きる知恵」や「暮らしの工夫」が、確かに息づいていると感じました。そしてそこで見聞きする小さな風景の物語、この場所を終わらせてはいけないと思いました。
そこで私は、この状況を別の角度から捉え直しました。
それは「消滅寸前」ではなく、都市集中が進む現代において「生きた余白」が生まれた状態ではないか、ということです。
開発された別荘地には存在しない、脈々と受け継がれてきた「暮らしの文脈」がここにはあります。
それを守り、次の世代へ「伝え燈す(つたえともす)」。その選択こそが、一村貸しの原点です。
―――「集落まるごと滞在」を支える体験設計について、地域の伝承人(ガイド)はどのように滞在を先導し、季節ごとの暮らし・風景をどんな流れで体感してもらう想定でしょうか。
私たちの考える「伝承人」は、単なる観光案内人ではなく、“暮らしの翻訳者”です。
この役割を担うのは、2年間にわたり市野々に通い、保全活動を通して住民や関係者と信頼を築いてきた弊社スタッフです。時間をかけて見聞きし、身体に染み込ませた「集落の日常」を、滞在者にそっと手渡していきます。
滞在は、伝承人とともに湧き水を汲みに行くことから始まります。
そして季節の営みに小さく参加する。
春:山菜と朝靄の中を歩く
夏:水の音と虫の声に耳を澄ませる
秋:実りの収穫を共にする
冬:雪の静寂の中で暖をとる
派手なアトラクションではなく、「理由を知った風景を、自分の足で歩く時間」を核に設計しています。
―――「地域風景」(地域の暮らしと風景が結びつき、一つ一つの景色の理由に触れられる風景)について伺います。滞在中に“景色が今の形になった理由”に触れられるよう、どんな場面を用意していますか。道端の草花や畑、道の手入れなど、実際に滞在中に紹介している具体的なエピソードがあれば教えてください。
景色は偶然の産物ではなく、長い年月にわたる暮らしの選択の積み重ねです。滞在中、伝承人は「景色の理由」を一つひとつ紐解いていきます。
たとえば【風景の物語】としては、こんなエピソードがあります。
・一見ただの花に見えるものも、実はネズミ除けとして植えられた生活の知恵
・一部だけ生い茂った道端の草も、山菜を保護するためにわざと残している生活の知恵
【食の物語】も同じです。
糸魚川や日本海の恵み、そして集落を中心に近くで採れた食材を提供しています。ワサビや味噌、塩なども糸魚川や日本海に由来するものを選び、その背景にある物語も一緒に伝えています。
さらに【水の物語】では、湧き水のそばに立つポストの由来や、その水が育む地酒の話なども紹介します。
意味を知った瞬間、風景は鑑賞する対象から、五感で“味わうもの”へと変わっていきます。
―――一村貸しを通じて、滞在者が市野々でどんな気づきや学びを持ち帰り、どのような「縁」へつながっていくことを願っていますか。また、その先に見据える「市野々の日常を未来へ燈す」姿を、言葉で描いていただけますか。
持ち帰ってほしいのは、「また帰ってきたくなる故郷ができた」という感覚です。
一村貸しは、消費される観光ではなく、新たな「縁」を生む装置でありたいと考えています。私たちは過度な観光地化を目指してはいません。
外から関わる人が少しずつ増えながらも、
雪が降り、
田を耕し、
祭りが続き、
そこに時々、誰かが「ただいま」と帰ってくる。
そんな市野々の当たり前の日常が、静かに続いていくこと。
それこそが私たちの願いです。
そして、市野々という無名の地から生まれた「一村貸し」という考え方が、日本各地の奥地に点在する集落の魅力を、未来へ受け渡す“装置”として機能していくこと。
それが、この挑戦のもう一つの未来です。
■宿屋『堂道』
所在地:新潟県糸魚川市市野々792
MAP:https://share.google/MTkIGL9RmewQJMOxo
公式サイト:https://den-tou.jp/
Instagram:https://www.instagram.com/dentou.jp/